キャプション

ドイツ水素エンジンへの夢

水素エンジンへの夢

1990年代末、BMWがE 38シリーズ(BMW 7シリーズ)の水素エンジン搭載テスト車両を発表したとき、業界では大きな驚きをもって迎えられた。BMWは乗用車で初めて水素を液体燃料として内燃機関に使用する試みを行ったメーカーである。同社の当時の開発努力は相当なもので、BMWはシルバーメタリックの7シリーズを引っ提げて、技術的な世界ツアーを行った。しかしながらその後、この技術が実際のシリーズの中で応用されることはなかった。また、水素を燃料とするV12エンジンを搭載したE38シリーズと後期のE65は華々しいデビューを果たしたが、これも2010年代末にミュンヘンの開発部門の地下室に姿を消した。

多くのブランドは、ますます強くなる電気自動車の流れから、直近では燃料電池すら断念し、バッテリー駆動に完全に軸足を移している。しかし、水素エンジンの夢は完全に潰えてしまったわけではない。ここ数年、ドイツでは水素エンジンの再来とも言うべき動きが見られるのだ。

 

スタートアップKEYOU GmbH

2015年にミュンヘンで起業したスタートアップのKEYOUは水素エンジンによる既存トラックの改造を推進している。創始者のThomas Korn氏はBMWのエンジニアとして、水素バーナーを搭載したBMW Hydrogen 7の開発に携わっていた人物だ。今日、車両への水素貯蔵技術が当時から飛躍的に進歩したことを考えれば、彼の主張は非常に理解しやすいものになる。例えば、レシプロエンジンは、燃料電池よりも丈夫で耐久性があり、さらに製造コストもかなり安い。すでに開発されている量産用エンジンを転用すれば、燃料電池で電気モーターを動かすよりも、内燃機関を使った商用車の水素エンジンの方が3から4分の1のコストで済む。そしてその仕組みは燃料が異なることを除けば、我々に馴染みのある内燃エンジンの技術そのままだ。

同社のビジネスモデルはそこに着目している。対象を大型のトラック、バスなどに絞り、既存のエンジンのいくつかの部品(原理的にはどのモデルにも適用可能)を交換する。最も重要なコンポーネントは、水素用に適合した燃焼室/圧縮機、インジェクター、点火システムを備えたシリンダーヘッドだ。ターボチャージャー、燃料供給系統、排気ガス再循環、そしてKEYOUがコア技術としているエンジン制御システムも交換される。

再利用できるのは車両部分だけではない。基本的にディーゼルトラックでおなじみの技術だというところで、サービス、メンテナンスインフラもそのまま利用できる。ランニングコストもほぼ変わらず、エンジン寿命も最低70万kmと従来のトラック用エンジンと同レベルであるという。水素を1回充填した場合の航続距離は500km以上で、電気自動車と比較して数分で充填が完了する。重いバッテリーが不要なため、バッテリー駆動に比べて全体の重量が軽いことも利点の一つである。そのため、積載量はディーゼルトラックと同等程度になる。つまり、ディーゼルトラックの市場がそのままそっくり、彼らのビジネスチャンスとなるわけだ。

CO2を排出しない点で、現在の脱炭素の需要にもマッチしている。水素エンジンで指摘される排ガス成分、つまり高い燃焼温度で空気中の窒素と一緒に生成される窒素酸化物の問題も、KEYOUでは解決しているという。
最新のプレス記事によれば、同社は既存のディーゼルエンジンプラットフォームをベースに、水素エンジンを搭載した18tトラックと12mシティバスをラウンチするとしており、2022年9月に開催されるIAA Transportationで初めて一般公開するという。[1]

 

業界の動き

水素エンジンの復活を密かに狙っているのはKEYOUだけではない。ドイツ老舗エンジンメーカーのDEUTZも2024年からの量産を念頭に、すでにベンチテストを開始している。[2] 6 気筒 TCG 7.8 H2を既存のエンジンの概念から転用して設計している。同社の水素エンジンは非常に静かで、すでに200kWのパワーを発揮できるという。この水素エンジンはDEUTZが現在製造するエンジンの全アプリケーションに適しているが、インフラ側の制約でまずは定置型発電機、鉄道などで使用される 。今年開始された最初のパイロットも定置型発電機で、その実用性をテストしている。もちろん、同社も近い将来、車輌用のエンジンとしての転用を意識しているはずだ。

こうした動きの中、2021年にドイツでは事業者団体「水素エンジン連盟」も発足した。[3] 既出のエンジンメーカーDEUTZ、パワートレインのAVL、トラックのMAN、水素インフラのBP、産業界、大学・研究所から約30団体が加盟する。今年9月には初のカンファレンスも企画されている。

フラウンホーファーICTは水素の直接燃焼を専門で研究しているドイツの応用研究所だ。[4] おそらく素人なら誰でも抱く素朴な疑問だろうが、水素燃料を搭載した車で何かあった場合はどうなるのだろう?水素は優秀なエネルギーキャリアでもあるが、爆発性にも優れている。このような問いに対して、フラウンホーファーICTでは、最悪のケースを含むさまざまな可能性を検討している。水素が流れ込むような空洞はあるのか?最悪の場合、そこに溜まる圧力はどれほどのものなのか。システムの特性から起こりうる誤差を計算し、起こりうるシナリオを想定して計算し、その結果を実際の試験で検証している。理論的な結果に基づき、実際に空洞に水素を注入し、車ごと爆発させる実験までも行っている。

 

今回のブームでは何か異なるのか

1990年代の水素エンジンブームと異なる点は、水素燃料電池、電気駆動との明確なアプリケーションの棲み分けがある点だ。水素は、長距離輸送や大量のエネルギー貯蔵が可能な物質である。従って、商用車、バス、大型乗用車、あるいは鉄道、さらには船舶など、重いバッテリーによる電化が非効率な分野において、水素を利用することで運輸部門の脱炭素化を図ることができる。さらに燃料電池との棲み分けもできている。燃料電池の利点は、低負荷時の効率が高いことである。しかし逆に負荷が高い時には効率が悪くなる。逆に水素エンジンは低負荷時の効率は悪いが、負荷が大きくなると効率が上がる。従って、高負荷状態を維持する必要のある産業用発電機などにも向いている。また、燃料電池の開発分野はまだ歴史が浅く、一からの開発だ。一方、水素燃焼エンジンは既存の生産インフラで迅速に導入でき、既存の車両を転用することも可能である。水素供給のインフラさえ整えば、爆発的な普及もありうる。

 

日本勢も

BMWが技術を眠らせていた間もトヨタは水素エンジンの取り組みを中断していない。新型水素エンジンは、スポーティタイプのトヨタカローラに搭載され、富士24時間レースでのテストをおこなった。カローラは3気筒とターボチャージャーを備えた1.6リッターエンジンを搭載。さらに、このコンパクトなツーリングカーには、マニュアル変速機と全輪駆動が採用されている。トヨタは、レース用アプリケーションで最大限のレース負荷をかけた状態でのデータを収集したいだけで、当面は量産に近い使い方はしないようだ。しかし、過去にさまざまな技術が、レースの現場から生まれているように、水素エンジンについてもここが出発点となり、新たな命を吹き込まれる可能性がある。

かつての水素エンジン発案者であるBMWはここにきてようやく水素技術の導入を本格的に考え始めたようだ。来年、BMWは現行X5をベースにしたBMW i Hydrogen Nextを発表予定であり、これにはToyota Miraiと同様に水素燃料電池が搭載される予定である。

特にこの数ヶ月の脱露ガス路線により、ドイツではより水素技術が注目される結果となっている。今回の水素エンジンブームは「持続可能な」ものであってほしいと願うばかりだ。[5]